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鹿野:今回はBASE株式会社取締役CTOえふしんさんこと藤川真一さんにお越しいただいています。よろしくお願いします。
えふしん:よろしくお願いします。
鹿野:まずは自己紹介をお願いします。
えふしん:ネットではえふしんという名前で活動していて、ブログも14年程書いているんですけど、昔モバツイというTwitterのクライアントを自分で作り、独立して会社を作りました。それを売却して、現在は無料でネットショップを作れるBASEというWebサービスの会社でCTOを務めています。
鹿野:最近は慶應義塾大学メディアデザイン研究科(KMD)で1つ成果を出されたということで。
法林:2012年にTechLIONに出てもらった時に、同じ回に出ていた慶應義塾大学の砂原(秀樹)先生がやっているKMDにえふしんさんが入学されて、つい先日博士号を取得されたと。
えふしん:メディアデザイン学という学問で博士号を取りました。
法林:えふしん博士ですね(笑)。
えふしん:ありがとうございます。TechLIONさまさまです。
鹿野:TechLIONを企画した者として、それを聞いてすごく嬉しく思いました。
法林:博士号、本当におめでとうございます。どういうことを研究されていたんでしょうか?
えふしん:インターネットに流れている情報をどのように信頼するか、というテーマです。みなさん、Web上で情報発信や、人の記事に対する評価、いいねを押したりなど、さまざまなことをします。そういう行動を通じて、この人のこの情報はどれくらい信用できそうかというのを指標化するというのが研究のテーマです。
鹿野:ちょっと怖い感じもしますね。
法林:でも確かに、そういうものを評価する指標はなかなかありませんね。それが研究テーマという形になったということはとても素晴らしいと思います。本当におめでとうございます。
鹿野:おめでとうございます。

 Webの創世記にスタート。地道に続く「WebSig」

法林:では、本題のコミュニティの運営について話をしていきましょうか。
鹿野:はい。えふしんさんには3つ切り口を用意していただきました。1つ目が「WebSig 24/7」ですね。2つ目は「ゴールデン街とMastodon」。そして最後3つ目が「モバツイ」というテーマをいただいています。まずはじめにWebSigのお話から聞かせていただければと思うんですけれども。
2004年に和田嘉弘さんを代表としてスタートされて、もうかなり長い期間活動なさってますが、どういう集まりなんでしょうか。
えふしん: WebSigはWebデザインMLといういうメーリングリストに集まっていた3,4人のメンバーが、当時WebサービスというよりはWeb受託という仕事の中で、Webディレクターのマーケティングとか、ビジネス面を中心にスキルや意識の底上げしようということで立ち上げました。
スタート時のメンバーはみんなWeb制作系の経営者だったので、その人たちを軸に実装技術やマーケティングなどをテーマにした「WebSig会議」という勉強会を、当時は3ヶ月に1回ぐらいのペースでやっていました。それから、だんだん人が入れ替わり、大きくなったり小さくなったりして、なんだかんだ地道に続けてるというコミュニティですね。
鹿野:長いですよね。
えふしん:今だとイベントは1年に1回くらいのペースで、本当に自分たちでやりたいことがまとまったら参加者を募集するという感じでやってます。いろいろな人にしゃべってもらっています。
法林:2004年というとブログとかが出始めたぐらいで、まだWebサービスというのはあまり主流ではありませんでした。どちらかというとWebSigの方はHPやCMSを使ってWebサイトを作る方がメンバーの中心だったという感じでしょうか。
えふしん:そうですね。例えば当時の思い出に残ってるイベントのテーマといえば「セカンドライフ」とか。
法林:おお。
えふしん:もちろんブログとかもありますし、あと「Web2.0」というテーマも取り扱いました。このムーブメントを僕たちはどうやって整理して乗り切るべきかみたいな話をしたりとか。そういった議論を、誰かにしゃべってもらって、みんなで考えて、懇親会で深めあってという流れでやってましたね。TechLIONの、馮(富久)さんも途中からWebSigのメンバーとして参加していただいています。最初は技術評論社の馮さんとしてゲストとして入ってきていただいて、いろいろとWebSigの記事を書いてくれたりとかしたんですけど、気がついたらメンバーに入ってて。
法林:コミュニティの運営のほうに入ってたということですね。
鹿野:えふしんさんはその中でどういった役割をされているのでしょうか?
えふしん:そもそもは、僕がすごくリスペクトしてる創業メンバーの1人とブログでWikiについてやりあって。それがきっかけでWebSig会議に来ませんかということで呼んでもらって、参加したのがきっかけかな。
鹿野:創業メンバーというわけではなくて、あとから参加されたのですね。
えふしん:あとから入りましたね。そこで最初しゃべる側で話をして、そのあとに(WebSigに)ジョインしませんかという感じになって、そこからやりはじめたという。
ですので、役割としてはいちモデレーターとしてイベントの主催のアイデア出しとか、当日のオペレーションとか、そういうのをやったり。それこそセカンドライフのイベントの時には、セカンドライフの研究をされているデジタルハリウッドの三淵先生という方がいらっしゃるんですけど、その人の人脈でいろんな人に出てもらって、それをストリーミング配信しようと。それでQuickTimeのストリーミングサーバーを、三淵先生のところの研究室にセッティングするというオペレーションを、当時僕ともう1人エンジニアの人がいたんで、その人と一緒に技術的な段取りをやったりしてましたね。
鹿野:時代ですね、ほんとに。
えふしん:懐かしいですね。
法林:WebSigのコミュニティとしての運営はどのような体制でやってるんですか。
えふしん:体制としては、ほんとにやりたい人だけ集まろうよみたいな感じで、今でいうと5,6人くらいのモデレーターチームが、隔週で集まって議論しています。
法林:馮さんからも聞いたことがあるんですけど、定期的に運営チームのミーティングをしてるそうですね。
えふしん:そうですね。隔週で集まる日を決めていて、そこで集まって今後どうしようかっていうのを考えて。イベントは準備をしようと思うと、募集に1ヶ月ぐらいかかります。そこから2、3ヶ月議論したりするんですね。そうすると、結局3ヶ月。昔やった3ヶ月のスパンでも結構忙しいんですよね。それを隔週でやっていくというところで、マイルストーンを決めて、ページ作ったりとかプランニングをして。ですので、考える人たちもそうだし、支える人たちも結構いてくれて、手を動かす人たちと考える人たちっていうのが分かれています。
鹿野:結構人数多いですか。
えふしん:多い時で十何人くらいいましたね。今は、7~8人くらいかな。あとは、みんながあまり強いコミットを求めずに、できるパワーを重視してやりましょうっていうことになっています。ですので、イベントをやる時は誰か1人の思いを大事にして、その人の思いに対してみんな共感した人が手伝うというスタイルで、無理しないようにしましょうとしています。
鹿野:みなさん本業も相当お忙しいですよね。
えふしん:そうですね。なので、抜けたり入ったりというのも自由にできるようにしてあげてというような形で運営しています。
鹿野:サイトを拝見したところOB、OGという方が結構いらっしゃいました。
えふしん:そうですね。昔はWebSig1日学校という、八王子の小学校を借りて1日イベントをやろうというような時には、前日仕事を休んで準備しに行ったりとかしていたんですけど。
鹿野:そのイベントには何人ぐらい集まったんですか?
えふしん:その時は100人以上ですね。僕たちそれまでは50人から80人くらいの集客だったので、何百人の集客というのは得意ではなくて。1日学校はもっと集まったかな。オペレーションも大変だし、Wi-Fiを引いたりですとか。
法林:100人を超えるとね。
鹿野:そういうのもやってたんですね。
えふしん:その時はいろんな人の人脈を辿って、いろんな人に手伝ってもらったりしてもらっていますね。

モチベーションを保ち続けたからコミュニティを続けられた

法林:WebSigも10年以上続いているわけなんですが、長く続けるコツだったり、あるいは長く続けることによって、いいこともあれば、よくないこともあるかも知れません。その辺りについて思うところはありますか。
えふしん:それは結構大きくて、最初のWebSigの意図というか、やりたいことというのは「業界の底上げ」というキーワードだったんです。でも、今ではどちらかというとWebサービスの方の主流感が否めないという状況になっています。
法林:そうですよね。
えふしん:僕もWebサービス側にシフトしてますし。その中で、自分たちの役割や目的みたいなものがある程度満たされてきたというところがあります。
それから、スタート当時は「自分たちの分からないことは誰かに聞く」というスタイルだったのが、プランニングの段階で答えが見えるようになっちゃって。プランニングの場が仮説、研究の場になっています。僕らのメンバーで話がついてしまうのですね。イベントまでやって検証するほどではないアイデアが、結構多いんですよ。そうするとイベントをやるモチベーションが湧かなくなってしまうので、そこは無理しないで、パワーがあったらやりましょうと。以前は3ヶ月に1回イベントをやろうということで、それを守ってたんですけど、それだと続かない。だから、イベントありきで続けるんじゃなくて、モチベーションありきで続けるというスタイルに変えました。採用目的や営利目的でやってるわけではないので、やりたいベースでやろうということで。
法林:自分たちのレベルアップみたいなものがモチベーションにつながるんですよね。回数をちょっと減らしてでもそういうモチベーションを保ってこられたのが、長く続けられてる理由なのかも知れないですね。
えふしん:ただ、当然みんな歳を取っていくじゃないですか。そうすると考えることが段々高尚になっていくんですよね。周りがついてこれなくなってしまうというか。
法林:コミュニティを長くやってる時の問題の1つですね。自分たちのレベルが上がってきてしまうので、そのレベルでやり続けるのか。
えふしん:あるいは裾野を取りにいくのか。
法林:そう。裾野に合わせてイベントをやるのかっていうのは1つの大きな分岐点で、どっちが正解っていうわけではないので。
えふしん:タコツボ化していくのがコミュニティとして健全だと思わないので。本当はうまく裾野の人たちに入ってもらって、若返りとかそういうのがないと、新陳代謝していかないといけないんですけど。そこはちょっと諦めた感じですね。
法林: WebSigでスカウトの対象となる若い世代というのは、人材としてはいるんですか。
えふしん:基本的にターゲットは、Webディレクターだったんですよ。今では制作系のディレクターって名前が変わっていて、マーケティングとか運用とか、もしくはUI、UX、デザインとか、いろいろ分岐してきて、Webディレクターの人たちって結構減ってるんじゃないかって思います。それはそれで1つのイベントテーマになりうる話で、そういったキャリアパスをどうやって考えるんだという話しをやってみたりするんですけど、そういった中に(人材が)入っているかなという。
法林:やっぱりエンジニアというか、制作をしている人たちも段々変わってきてるっていうのがあるんですね。
えふしん:そうですね。あと、いわゆる企業側。クライアント側の中にもインハウスで制作者が増えてる。そういう人たちももちろん来てくれるんですけど、そういった部分も含めてイベントだといってるのがありますね。
法林: WebSigとしてやりたいことはまだまだあるという感じですか。
えふしん:僕らとしては、昔はWebSigを分散コミュニティにして、全国区でCSS Niteみたいに広がるようなものができたらということも考えてたんですけど、段々やってくうちに、僕らって和田(WebSig代表)のやりたいことを中心にやってるのが一番楽しいよね、みたいになってきて。
法林:なるほどね。
えふしん:和田と愉快な仲間たち。
法林:みたいな感じなのね。和田さんもTechLIONに出てもらったことがあって、どうしてずっと和田さんが代表なんですかっていう質問をしたら、和田さんが一番情熱を持って活動してるっていうか、そこが非常に大きいんじゃないですかと。コミュニティっていうのはそういう、1人熱量のある人がいるかいないかで続いていくかどうかなのかなと。
えふしん:そうですね。和田がいろいろなことに対してお悩みを持つんですよ。彼は自分の会社を経営しているので、自分の会社を今後どうしていくかっていうのも含めてお悩みを持った時に、ずっと抱え込むんですね。それをみんなで「いやそうじゃなくてさ」みたいな話をするんだけど、そこからイベントのネタが出て来るっていう。
鹿野:和田さんにとってもいいわけですね。
法林:面白いですね。

パソコン通信みたいなゴールデン街のコミュニティ

鹿野:そろそろ次のテーマにいってみましょうか。「分散型コミュニティとしてのゴールデン街とMastodon」というお話です。
法林:WebSigは普通のコミュニティということで話をしてきたんですけど、今度は分散型コミュニティですね。
鹿野:えふしんさんは、mstdn.fmを運営されていて、ゴールデン街はよく行かれている場所ということですね。私が今回えふしんさんに是非お話を伺いたいなと思ったのが、Web上にゴールデン街に関する論考を書かれてらっしゃって
法林:「えふしん」「ゴールデン街」とかで検索すると出てきます。
鹿野:こういうふうに、ゴールデン街をコミュニティとして評価してる人に初めて出会ったので、ぜひお話を聞いてみたいと思いまして。
法林:僕も読みましたけどすごいおもしろい記事ですね。ゴールデン街の魅力をちょっと話してもらうと。
えふしん:ゴールデン街というのは新宿の歌舞伎町1丁目1番地なんですよ。ほんとに昔からある街で、赤線・青線という頃の建物がまだ壊れずに続いてるんですけど、それが時代の移り変わりで飲み屋に変わっていったんですね。10人も入ればもういっぱいいっぱいになるような飲み屋の集まりで、ゴールデン街と言われる1つのエリアに300店舗ぐらいお店があるところで、そういう意味では300個の掲示板があるような感じになってるんですね。ほんと肩寄せ合って飲むような狭い店なので、知らない人ともしゃべるんですよ。
その中で、場が楽しくなるかどうかは誰で決まるかっていうと、お店のママさんのような、お店の真ん中にいる人たちが話題を振ってあげたりケアしてあげたり、知らない人をくっつけることで楽しさが決まると。僕自身はコミュニケーションが得意ではないんですが、寂しがりやでもあって、そういうとこに行って知らない人と仲良くなるのがすごい楽しいんですね。自分からすごい積極的にコミュニケーションするタイプではないので、お店の人の力を借りてじゃないと楽しめないんですよ。その状況が、自分が中学生とか高校生時代だった時の、いわゆるパソコン通信みたいで。
法林:えふしんさん中学生、高校生でもうパソコン通信やってたんですか。
えふしん:そうです。高校1年の夏休みにパソコン通信やって、電話代が月10万。僕埼玉県だったんですけど東京のBBSにつなぐんですよ。そうすると電話代が高くて。
法林:ちょっと高いですね。
えふしん:1分10円かかるんですよ。横浜のBBSにつないで、ゲームをダウンロードして寝ちゃいましたとか。当時のBBS、つまりパソコン通信のホストっていうのは、その人の家にサーバがあるんですね。インターネットって今Webサーバが置いてあって、みんなドメインがあるじゃないですか。
法林:データセンターとかにサーバがあるんですが、当時はそんなことないので。
えふしん:要はその、ドメインが電話番号なので、そこに電話をかけて、最悪の場合人が出るんですよね。「もしもし」とか出て。
法林:人が出ちゃったみたいな。こっちは「ピー」とか「ガー」とかいってるところなのに。そういうことあるんだ。
えふしん:そうです。それで、いろんな人がホストをしているBSSを回るんですよね。それがある種ゴールデン街にすごく似ていて。全然知らない人が掲示板を運営しているのですが、ネットを通じていろんな掲示板の情報集めてそこの番号に行って、そのコミュニティで楽しむみたいな。残るのも残らないのもオペレーターの手腕なんですよね。人がたくさん集まるところは、たくさん集まるし、そうでないところは少人数で細々とやるし。それを高校生の時にやって、しかも2ヶ月で今で言うパケ死をしますと。で、大学に入るまでパソコン通信を止めてたんですよ。
法林:そうなんですか。
えふしん:それで、大学から復活して今の流れに乗るんですけど。そういう原体験が存在していて。そういう知らない人とネットコミュニケーションを楽しむのが大好きだったのがゴールデン街にも適用できる。ゴールデン街へはいつも1人で行きます。2人で行っちゃうとつい2人でしゃべっちゃうじゃないですか。
法林:そうですね。
えふしん:向こうも2人だと2:2に分かれちゃったりするので、2:1で僕が入り込むためには1人で行ったほうがいいなと。
法林:そこでゴールデン街の店のマスターやママといったみなさんは、一種のコミュニティマネージャであるということになるわけですよね。鹿野さんゴールデン街でイベントやったことありますよね。
鹿野:ITスナック美夢というイベントをやっておりまして。エンジニアだけが入れる飲み会。
法林:ゴールデン街の店を貸してくれるところがあるんですよね。
鹿野:そこも来てくださった方、いろんな人に出会ってもらいたいみたいな気持ちもあって、全然知らない人と知らない人同士が仲良くなったりするとこっちもうれしくなるっていう感じで。
えふしん:あの距離感はいいですよね。人間と人間のパーソナル空間の距離みたいのがある。あれが何十センチとか1メートルとか離れるだけで、もう分断しちゃう。
人間の心理的距離と物理的距離がもたらすコミュニティに対する影響というのは、オフ会とかの距離感とか、人数とか、イベントの二次会の距離感とかに絶対影響するだろうなと思ってる。
全然知らない人たちも、5人ぐらいのオフ会で1つのテーブルを囲んでしゃべるんですね。これが7人、8人になった瞬間に分断しちゃう。10人以上になっちゃうとしゃべらない人が1人生まれちゃって、「ぼっち」になっちゃって、その人はいい思いをしないじゃないですか。そうするとそのイベントは行きたくないとなっちゃうので、それをどうしたらいいのかっていうのをWebSigとかで議論したりとか。
法林:WebSigでもそういう取り組みをしたりしてたんですか。
えふしん:そうです。1日学校というイベントでは小学校を借りたのですが、最後に体育館で懇親会をしました。体育館ってとても広いじゃないですか。となると当然「ぼっち」が生まれるんですよ。それをいかになくすかというのでそこに人をつけて。
法林:「ぼっち」対策みたいなのを。
えふしん:そうですね。やっぱり顧客満足度っていうのを考えた時に、みんな「楽しかったな」っていうのが一番最後の二次会とかで満たされないと、ちょっと寂しい気持ちになりますよね。他はみんなしゃべってるのに…みたいになっちゃうので。そうなると、途中までよかったけど最後がよくないとなってしまう。だから、そういうのはなくそうとしていて、気を遣いすぎっていう話なんですけど。
法林:そういう対策をしているコミュニティっていうのはときどき見かけますね。大きなイベントやってるところほど、いろいろ気を遣うところはあるようです。
鹿野:仕組みとしてそういうのを用意しているんですね。
法林:やり方はいろいろですけど、そういう「ぼっち」対策をしているコミュニティはいくつかあります。例えば「ぼっち」向けランチセッションみたいなことをやったりとか。お昼休みにどこかの部屋を使って、そこで一緒に話をしましょうみたいなことをやってるようなコミュニティとかはありますね。
えふしん:前にYAPCに参加して、「いいな」と思ったのが、休憩所に@uzullaさんがいて、マイクでみんな自分のプレゼンをしようよと声をかけている。「みんなやらないの?」みたいな感じで盛り上げて、それまで恥ずかしがってる人が自分の発表をする。そうすると話題が共有されて、話が盛り上がるんです。僕の大学院での研究もそうなんですけど、会話は相手に対してこういうネタを言えば通じるという期待があって、その期待を持っていればしゃべりかけられるんですね。それがないからパーソナル距離を埋めるのが難しくて。それを@uzullaさんが壊していくという場があって、これは最高だなと思って。
法林:かなり部屋は大きいかも知れないけれども、やってることはゴールデン街のママと同じかも知れないですね。
えふしん:ほんとそうです。

可能性や多様性を楽しむ分散型コミュニティ

鹿野:そことMastodonは分散型コミュニティとして同じものだと考えていらっしゃられる。
えふしん:Mastodonは自分たちでコミュニティを作れるし、他のサーバともつながりますねということで、ゴールデン街みたいなコミュニティを作りたいと思いました。パソコン通信の再来ですね。
法林:えふしんさんにはそういう感じで映ったわけですね。
えふしん:自分のホストを持って、それぞれのテーマで名前を付けて。僕のとこはちょっと小さなコミュニティですけど、そこの可能性がもっと増えたらいいなと思っていて。それがリモートフォローで相互に乗り入れるというところで、コミュニティに行かなくても話題は自分のタイムラインに入ってくるし、関係性は作れるしというところを含めて、すごい面白いなと思って。
ただ、今はサーバがいじれる人じゃないとホストになれないんで、これがちゃんとコミュニティ化して、「レンタルサーバにMastodonがついてます」くらい技術が進歩していくと、もっといろんな人が増えますよね。コミュニケーションが得意な人たちがMastodonを使って自分の城を持つようになれば、結構面白い時代になるかなと思って、この次の展開に期待をしているというとこで。今は淡々と世界を夢見て遊んでる、携わってるという。本当はもっと貢献ができたらいいなと考えつつ運営してるという感じですね。
法林: Mastodonは昨年の4月頃すごく話題になったじゃないですか。えふしんさんがインスタンスを立てたのってその頃ですか。
えふしん:そうですね。ちょうどその騒動の時。mstdn.jpを見て、これはいいなと思って、そしてmstdn.fmを立てるという姑息なことをしました(笑)。
法林:最近の状況はどんな感じなんでしょうか。
えふしん:伸び悩んでますね。何か障害があった時に技術のレイヤーまで深掘りできる人じゃないと解決できないというところがあって。簡単ではないですよね。
法林:そうですね。(運用が)簡単ではないっていうのは聞いてます。
えふしん:Dockerイメージを運用するのとか、セキュリティホールの対応とか、そこの部分をできなければならないという点が普及の壁になりますよね。
法林:技術の分かる人でないとインスタンスの運営ができません。
えふしん:もちろんそれに対して無料のサービスやホスティングするサービスとか出始めてますけど、そこを突き抜けるコンテンツ側、コミュニティがそんなに出てきてなくて。いくつかの会社のマイノリティなコミュニティが存在するみたいな。徐々に増えてるんでしょうけど、目立ってブレイクするような流れにはなってないかなと。
法林:去年の段階で1つ目の壁は超えたんだけど、次の壁があって、それを超えられるかどうかは今後にかかってるという感じですね。何かきっかけがもう1つ欲しい。
えふしん:もともとワールドワイドのプロダクトなんで、世界というコミュニティでいくのか、日本の中で独自進化をするのかな。昔のTwitterみたいなモデルですね。僕がTwitter始めたのは2007年なんですけど、そこでモバツイを作って、確かにたくさんの人が使ってくださってたのは事実なんです。一方で、ユーザーの数自体は2009年まではなだらかに増えてると。2009年にTwitterがブレイクしたのがきっかけでモバツイも急上昇していくんですけど、そういう意味では2年ぐらいかかってもいいんじゃないかという感覚は僕の中ではあって。
法林:なるほどね。
えふしん:今みたいな、分散型コミュニティにおいての理念というのは完全にそこしかないので。プロトコル自体も借り物で、みんなが理想としていた実装が出てきたのが今という感じですね。
ここから次なる発展っていうのはいくつかの奇跡みたいなのが積み重なっていって、その時に名前がMastodonかどうかは分からないです。別に全然違うオープンソースのものが出てきて、そっち側が主流になっても全然いいと思うんですけど。
今だとSNSはFacebookとかTwitterとか、Instagramとか。1サービスの中の一アカウントでやるのが主流ですよね。
法林:集中型ですね。
えふしん:そうですね。1個のアカウントで自分の世界を作ったら、ソーシャルグラフも含めてあまり変わらないじゃないですか。それはそれでいいんですけど、もうちょっとアカウントごとに使い分けるのもありかなと。それこそゴールデン街のお店に例えると、映画が好きな人のお店もあれば、ゲイの人たちがやってるお店もあったり、かわいい女の子がいるようなお店があったり、性格ってお店によってそれぞれに違っていて、アイデンティティていうんですかね、使い分けてもいいと思うんですよ。
1つのキャラクターでそういうふうにやればいいし、全然知らない店に行って、自分の普段見せてない性格をそこのコミュニティで出していく、みたいなのがあってもよくて。Mastodonだとそれができるので。
法林:そうですね。分散型コミュニティのよさというか、魅力というか、メリットですよね。
えふしん:アカウント管理の視点でいうと、もちろん良くも悪くもいろんな問題が起こります。なりすましもできちゃうとかあるんですけど。でもそれはマイノリティだからこそいいみたいなのがあって、別に全部のWebサービスが何百万とか何億人とかのユーザーを抱える必要はないですよね。
成熟したインターネットにおいては、ホストみたいな人と、その仲間たちが淡々と楽しい世界を作って、かつ一定の新人さんが入ってくる。その一定の流入を支えるのがテーマみたいな軸で、小さい店でやり続けるみたいな世界がいっぱいあってもいいと思うんですよね。それが本当の成熟したインターネットコミュニティじゃないかなと思っていて、その時代をちょっと夢見ている感じなんです。それまでまだまだ時間がかかります。
法林:そうですね。
えふしん:今実装がようやく出てきたフェーズなので、ここからもっとセキュリティの話や、なりすましの問題や、いくつか課題もあり、解決しようとする人が出てきて、その先に何かあるかも知れないなと思って。そういう変化を楽しもうという感じですね。
法林:僕の場合だと、例えば前回の高橋さんとの話の時にも出てきた、ネットニュースの「fj」とかから始まるわけですね。fjでいろんなコミュニケーションをして、そこになんかグループごとにコミュニティがあって、いろんな話をすると。そこから今のSNSが出てきたのが10年ちょっとぐらいですか。それでサイトの中でコミュニケーションするというところにきて、またいつか、今話した分散型のものになっていく時代が来るといいなと思うんですけど。
えふしん:でもTwitterとかFacebookって、承認をして輪に入れるっていうフォローの文化じゃないですか。それぞれが自分の城を持ってやるので、気が合わない人はアンフォローする。ブロックするっていうことでネットワークの生態系が存在する。それ自体が分散傾向ですよね。
Mastodonの場合はサーバ自体は分散してるんですけど、その中のタイムラインは1個で共有してるんですね。だから、mstdn.jpとかたくさんユーザーがいるところだと、大量に発言する人たちが排除されたりとか、嫌われたりとかが起こっていて。
さっきのfjの話もそうですが、1つの文脈の共有という話しがあって。昔のパソコン通信の論争というのは、1個の場を守る人たちの戦いみたいなのがあって、それはそれで楽しいんですよね。今のフォロー文化のような。嫌だったらアンフォローすればいいよねっていう殺伐感のある世界とはまた違う世界が楽しめるので。
法林:場の共有みたいな観点だと、Mastodonだったり、パソコン通信だったりのほうが、そこにいる人みんなが同じものを見ている、共有している感じが出るんですかね。
えふしん:興味ですね。テーマ軸の世界ができるんです。だからそれこそゴールデン街なんです。この店でちょっとあんまりおもしろくないなと思ったら、同じ街の隣のお店に行くみたいな。
法林:ゴールデン街のお店は場を共有してるわけなので。
鹿野:だから逆に、嫌なお客さんはお断り…という動きもあるわけですよね。
えふしん:ある店では出入り禁止になってしまった人でも、他の店ではどうかっていうと、ちゃんとその人の性格を見ている人たちがフォローしていたりして、「お前はだからダメなんだよ」みたいな事を言われながら、受け容れられるようなこともあるわけですよ。キャラが愛されてたりとかする。300店舗もあればいろいろなコミュニティがありますよね。
法林:どこかには適応できるお店があるっていうことですね。
えふしん:今のフォロー文化とかFacebookがこんなに世界レベルで普及するということは、たぶんこれは正解なんですよね。ただ、それだけだと少し寂しいな、という。強制的な出会いもないし、1回フォローが落ち着いちゃったらソーシャルグラフが広がらないじゃないですか。それだけではなくて、可能性や多様性を楽しむっていうのがいいなと思います。
鹿野:面白いですね。

人生を変えた「モバツイ」

鹿野:さて、 3つ目のテーマとしてはWebサービスとしての「モバツイ」を挙げていただきました。
えふしん:自分の人生を変えたサービスですね。
法林:そうですね。作り始めたのはいつごろのことでしょうか?
えふしん:2007年4月ですね。ちょうど日本で第一次Twitterブームが起こった頃ですね。
法林:僕もアカウント作ったのはその頃ですね。
えふしん:百式、今ドットインストールをやってる田口元さんのブロガー合宿でTwitterを使い始めて、そこから火がついて広がっていって。みんな最初は「今何してるの?」みたいな感じで。「何書いたらいいのこれ」ということ自体がネタというような。
法林:えふしんさんはTwitterを見た時にどう思ったのでしょうか。
えふしん:これも、パソコン通信的な概念っていうのを思っていました。今はフォローしないと何も出てこないんですけど、当時は(コミュニティが)まだ小さかったんで、グローバルタイムラインと言われるものがあって、全体のタイムラインが全員に共有されてたんですよね。Mastodonと同じ状態で、みんながみんなつながってる。
法林:みんなに表示されるタイムラインみたいなのがあったわけですね。
えふしん:今だと、フォローしてる人とフォローしてない人のやり取りって、リツイートされなかったら見えないとか、複雑なルールで共有されていますが、昔は他人同士の会話が全部見えたんですよ。そこに口出しすることができるというコミュニティだった。
法林:そこに一種のコミュニティを感じたわけですね。
えふしん:今だと、(あらかじめ)知ってる人とか有名人をフォローするのがTwitterの使い方になっていますが、当時はコミュニティが小さいから、知らない人がいたらフォローして、そこで初めて知り合うみたいな。今だとあり得ないですけど「Twitter部会」とかがありましたからね。どんだけ主語広いんだ!みたいな。
法林:広すぎるだろ…という感じですね。
えふしん:そういうコミュニティがありました。ただ、Twitterは当時バグだらけで、負荷問題を抱えていたりとか、特に日本語が送れない問題…日本語のバイト数をスペースも含めて偶数バイトかなんかにしてあげないと送れないという問題がありました。
法林:当時はTwitter以外にもマイクロなんとかという名前の…。
えふしん:マイクロブログですね。
法林:マイクロブログ。そういう名前のサービスがいくつかあって、それぞれユーザーがいたんだけども、最終的にTwitterが生き残ったわけですが。
えふしん:残りましたね。
法林:日本製のサービスとかもあったから、当然そういうところは日本語が通ってたので、むしろTwitterはそういう意味では、ちょっと劣勢というか。
えふしん:当時は特にシングルワイドなサービスですからね。それがバカバカしいなと思って、それのプロキシのサービスを作ったのがモバツイの最初。
法林:ちゃんと投稿できるようにするプロキシを作ったわけですね。
えふしん:まだOAuthもないんで、IDとパスワードを入力してもらって認証かけて、Twitter APIで投稿するっていう。
法林:そうするとちゃんと日本語で出てくるんですね。
えふしん:そうそう。バイト数を合わせているので。
法林:プロキシでバイト数ですか。そこからモバツイに発展したと。
えふしん:そうですね。それで、これを携帯でやったら面白そうだと、シンプルなフォームしかないHTMLをiモードで作りまして、最初それに「モバツイッター」という名前を付けてやりましょうっていうのが、モバツイのはじまりです。
法林:さっき言ってたように2009年ぐらいまでは緩やかに伸びて。
えふしん:そうですね、自宅サーバで運営してたんですけど。
法林:自宅サーバで賄えるぐらいの規模だったってことですね。
えふしん:そうですね。DELLとかHPの安いサーバを徐々に増やしていって、最終的には4台か5台ぐらいになってました。
法林:ブレイクしたと感じたのはどの辺なんですか。
えふしん:モバツイ作ったのが4月で、始まりの段階からたくさんの人に興味持ってもらって。5月のGWに、機能強化週間でGPSの位置情報投稿機能と、写真の機能。この2つの機能を付けたんです。ネットに落ちてるスクリプトを見て、位置情報をつけて。僕auの携帯しか持ってなかったので、残りのSoftBankと、Docomoも、なるべく僕がいじらないように、落ちているコードを流用する形で移植して、デバッグをみんなにお願いしますという。
法林:なるほどね。
えふしん:いろんな機種で検証したいから、たくさんの人に1日使ってもらって「送れたよ」、「送れないよ」ということに対応して、機能としてリリースできました。そういうコミュニティ感っていうのが、当時は成立したんですね。
法林:ちょっと開発コミュニティっぽい。
えふしん:そうですね。ものすごい面白くて、そこからハマっていきましたね。実際の数字としては2009年にTwitterからリンクを貼ってもらったんですよ。Twitterがまだモバイル対応とかアプリ対応しきれてない時代に、一旦サードパーティーに流そうみたいな時期があったみたいで、(モバツイに)流してくれたんです。代理人のデジタルガレージの人に「すごいアクセス増えるよ、大丈夫?」とか言われて、「大丈夫だと思うんですけどね」と気軽に言ったらすごいことになっちゃって。家のルータがいっぱいになっちゃったんですね。
法林:家庭用ルータですよね。
えふしん:当時YouTubeじゃない、Ustream、切れちゃうんですよ。セッション貼る系が切れちゃって。エラー出まくるんで、サーバのLANを抜くとCPUが落ち着くみたいな。データ転送してるからそうなっちゃうんですよね。これはもうダメだなと、それでAWSにひと晩で移行して。
法林:クラウドにした。
えふしん:ネットでクラウドコンピューティングみんな使ってるから、「へー」と思って参考にさせてもらったら、そんなことやってる人僕しかいなかったらしくて、クラウドの先駆者みたいに。
法林:そんなつもりじゃなかったのに。
えふしん:プロダクションのサーバでAWS使ってるの初めてという話で、そのぐらい扱えるぞって、いろんなイベントに呼んでもらって。
法林:そうやってユーザーが伸びていったということですね。ユーザーが増えていく中で、例えば、「バルス」とか、そういうのも経験したわけですよね。
えふしん:(モバツイを始めて)1年目か2年目かな。
法林:わりと最初ですね。
えふしん:僕がモバツイを手放すまでにバルスが3回ぐらいあるんですよ。最初は全然何も考えないで、普通にラピュタか、みたいな感じでツイートしてると動かなくなっちゃうんですよ。
法林:その瞬間に。
えふしん:その時は外だったんで、完全に負けましたね。
法林:何も対応するつもりもなかったから。
えふしん:落ちてしまった。ほんと申し訳ないですみたいな。バルスのタイミングでみんながつぶやくっていう、みんなで盛り上がるというムーブメントが自然発生的に起きていて、ツイートが詰まっちゃうんですね。で、2回目はもうちょっとどうにかしようと。
法林:放映が決定すると、この日はちょっと空けとかないとみたいな。ラピュタのせいで用事もいれられない。
えふしん:何回目のバルスか忘れたんですけど、その時モバツイのAndroidアプリを更新して、バルスボタンつけようとか言って。
法林:やだな(笑)。何をしてくれるんだみたいな感じなんだ。
えふしん:そうは言っても、局地的な盛り上がりで、Twitter全体という意味では知らない人もいて、「何このボタン。バルスって送られちゃうんだけど」みたいな感じになっちゃって、世の中広いなというのを知らしめられました。それから、負荷的な話でいうと紅白ですね。
法林:そこはやっぱり重くなる。あと年明けの瞬間とか。
えふしん:紅白の段階から番組見ながら、誰が出てとかつぶやくので負荷が高くなって、それでサーバをひたすら改善すると。
法林:年末年始みんなゆっくりしてるのに、えふしんさんは性能改善特訓みたいな状態で。
えふしん:その時しか見えない問題とか出てくるので。
法林:そうですよね。
えふしん:負荷問題を解決するのをその場で体現するという。だから、最初はデータベースにアクセスしていろんな情報を持ってきていたのが、最後は年末年始は、一切データベースにアクセスしないでTwitter APIしか通信しない機能になってたりとか、簡素化されていきました。
法林:改良されたわけですね。そういうツイートを見ていく中で、例えばバルスだったり紅白だったり、それも一種の、有力かつ規模の大きなコミュニティっていうのを感じたりしてたわけですか。
えふしん:モバツイはTwitterクライアントでしかありませんし、Twitterをプロキシするアプリというか、Webのアプリでしかないんですけど、Twitterの中でもモバツイを使っているかというのが特殊なクラスタとして、ユーザーさんたちの意識としてもあったりとか、他のアプリに行くことは、ある種派閥争い的なニュアンスもあったりもしました。
法林:モバツイユーザーと、他のTwitterクライアントユーザーと、そこはある種のグループ分けみたいなのがなんとなくあったんですね。
えふしん:昔、NECのBIGLOBEが「ついっぷる」というサービスをやっていて、その時バズったツイートがまとめて見える、今で言うトレンドワードみたいな画面があったんですよ。それで、モバツイでは広告が出てくるバナーは全部管理してて、アダルトバナーとかは絶対出ないようにしてたんですけど、ちょっとミスって(アダルトバナーが)出ちゃったんですよ。その時ついっぷるトレンドってとこに「モバツイ」「バナー」という感じで載っちゃって、ものすごい大量のクレームがくる、大量にリツイートされるみたいな。まさに想像通りのことが起きてしまいました。
それと同時に、Twitterはあまり儲からないということもわかりました。やっぱりバナーって、アダルト広告とかコンプレックス広告が一番儲かるんですね。
法林:そうなんですね。
えふしん:でも、モバツイコミュニティみたいな空気感を維持するためにはそういうバナーを出してはいけないっていう感覚で運用してました。

時代の移り変わりとモバツイの売却

法林:それを出していないがためになかなか儲からないというのは、難しい話ですね。そのモバツイを何年か運営されて、売却をされますね。これがちょうど、TechLIONにモバツイのえふしんさんが出ますとか言ってたら、出演する前にえふしんさんがモバツイを売りましたということがあった、その時ですね。
えふしん:(TechLIONに)出るまで、ちょうどタイミング的に発表できなくて。
法林:売却に関することってどれくらい聞いていいかよく分からないんですけれども。
えふしん:その前の年に3.11(東日本大震災)が起きたんです。例えばLINEって3.11をきっかけにできたんですけど、潮目というか、時代の移り変わりのポイントになっていて、スマートフォンが本格的に普及するターニングポイントにあったんですよ。
では僕たちが正しくスマートフォン適応ができたかっていうと、結果的にはうまくいってなかったなと振り返って思います。
その部分において、この先やっていけるのかと考えた時に、それだったらガラケーでもっと頑張っているjigさんとかに譲渡した方がいいんじゃないかみたいなのを考えたり。
法林:そういうことがあったんですか。えふしんさんとしては、3.11はコミュニティを見ている中では影響があったんですか。
えふしん:そうですね。うちの社員にも家族が筑波の方にいて、一旦うちに泊まってくれたんですけど、電話が繋がらないんですよね。でも、Twitterは繋がるし、インターネットは繋がると。パケットはどうにかなると。インターネットが見直されたポイントでした。
Twitterはあのときサーバをたまたま増強していたタイミングで、あのトラブルの中で落ちなかったんですね。同じくモバツイも落ちてはいけないというような使命感があったのですが、広告は止まるんですよ。特にいわゆる純広告といわれる、企業が直接うちに出稿してもらえる広告は全部キャンセル。僕たちは広告モデルだったので、その間収益構造はガタ落ちです。たまたまGoogle AdSenseが回ってるんで、自動で回ってるアドネットワークは入ってくるんですけど、比率が低いので収益としては成り立たない状態になっていて、でもサービスは落としちゃいけないし。特に都市部ですね。もしかしたら現地の人もアラート上げてくるきかっけとしてモバツイを使うかも知れないという使命感というんですかね。その中でどうやってサービスを維持するかっていうのを考えて。
たとえば、家が計画停電で停電した時にサーバに繋げないという状況を作ってはいけなから、車の電源を使うのですが、地下駐車場だと停電になったら入れなくなっちゃうので、車を地上に置くために駐車場借りっぱなしにしたり、ネットに繋がる準備を常に欠かさずやっていました。サーバも、余震があるたびにツイートが増えるので、1ヶ月間はサーバを増やした状態で置いておいて、完全に収支は無視していた。
法林:いやー、大変だ。
えふしん:震災が落ち着いて徐々にトラフィックが下がってきたんで、それに合わせてサーバを減らしていくっていうのを計画的にやってましたね。
法林:その辺はクラウドだからよかったんですね。
えふしん:そう。まさしくクラウドならではですね。
法林:クラウドだからサーバを増やしたり減らしたりは、作業としてはスムーズにできるけれども。
えふしん:いきなりは調達できないですもんね。
法林:その時代にクラウドがあってよかったなと、そういうことがあったんですか。

人生100年時代のインターネットコミュニティ

鹿野:そろそろ締めに入ろうかなと思うんですけど、えふしんさんが今後コミュニティに対してこういうことをしていきたいとか、こういうコミュニティをやっていきたいっていうことがあればお話うかがえますか。
えふしん:人生の目標としては、60歳以降をどうやって暮らしていくかっていうのが結構重要なところで、やっぱり今のこの会社(BASE)もそうなんですけど、段々若い人に中心が移っていくんですよね。当然僕たちのような、世代が上になってきた人たちが固まるのもいいんですけど、若い人たちと繋がっていたいなという感覚があって、それをどうやって実現していくかっていうのが生涯のテーマかもしれません。同じ世代で「若いやつはさぁ」って言いたくないんです。それをどうやって維持するかっていうのが、インターネットだったらできるかもしれません。
法林:今は人生100年時代といわれていて、段々長くなっています。60歳以降でもかなり年数があるわけで。
えふしん:そうですね。できればその時までコードを書いてるぐらいの感じで、何かを提供する。それを期待してくれる人たちとの繋がりができるくらいのものが、自分の資産として存在していたらいいなと思っていて、それをどうやって作り上げていくのはほんとにこれからだと。それはもしかしたら、Mastodonを運営しているっていうことに置き換わってるかも知れないですし、そういう世界がモバイルだとかインターネットを通じてできていると、楽しいかなと。
法林:そこにインターネットがあれば。あと、ゴールデン街で店を持てるかも知れないですし。
えふしん:興味ありますね。
鹿野:ゴールデン街は、店を見つけるのもなかなか難しそうですよね。
えふしん:もしお店が空いていても、オーナーさんたちに認められないといけない感じなのだそうです。
法林:そういう感じなんですか。あれだけ長いこと続けていれば、そういう構造はありそうですね。
えふしん:でも代替わりはしていきますから。物件情報が入ってくるのって、周りの人が一番早いんで、その距離感にいないといけないし、そもそもお店の運営とかもありますしね。
鹿野:そうですね。いつかそういうお店ができることを楽しみにしています。
法林:そういうコミュニティの運営もこれからやるかも知れないし、楽しみですね。
本日のコミュニティドライブは、えふしんさんこと藤川真一さんをお迎えしました。どうもありがとうございました。
えふしん:どうもありがとうございました。

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